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広島地方裁判所 昭和46年(行ク)15号 決定 1971年8月05日

申立人 中嶋久矩

被申立人 広島県公安委員会

訴訟代理人 片山邦宏 外八名

主文

一、本件申立てを棄却する。

二、申立費用は、申立人の負担とする。

事実及び理由

一、本件申立ての趣旨及び理由

別紙「行政処分執行停止申立書」(訂正書を含む。)のとおり。

二、被申立人の意見

別紙「意見書」のとおり。

三、当裁判所の判断

(一)  本件疎明によれば、次の事実が認められる。申立人は「被爆二六周年八・六広島反戦集会全国統一実行委員会(以下「実行委員会」と略称する。)の事務局長の地位にある者であるが、昭和四六年八月三日付で被申立人に対し、広島県条例昭和三六年第一三号「集団示威運動、集団行進及び集会に関する条例」(以下「県条例」と略称する。)第四、五条に基づき、次の内容の集団示威運動の申請をした。

名称 佐藤来広阻止、祈念式典出席実力阻止行動、

日時 昭和四六年八月六日午前七時四五分から同日午前八時三〇分まで、

場所 広島市大手町二丁目大手町第一公園→平和大橋→平和公園前北側緩速車道→公会堂前→公会堂西側→本川橋→本川公園

参加予定人員

約三〇〇人(宣伝カー一台)

右申請に対し、被申立人は、同月四日公共の安全と秩序を保持するため、県条例第四条及び第六条第二項に基づき、右集団示威運動の進路のうち、出発地から平和大橋東詰交差点までは、申請どおりの進路とし、以後「平和大橋、平和公園前北側緩速車道、公会堂前、公会堂西側、本川橋をへて本川公園前に至る間」を「平和大橋東詰交差点を左折して平和大通りを東進し、新大手町ビル南側交差点を左折して大手町筋を北進し、福万旅館前、ユニード前、広綿前をへて、第一産業北側交差点を左折して西進し、相生橋西詰を左折して本川公園に至る」進路と変更する旨決定した。

申立人は、右処分を不服として、同月五日、広島地方裁判所に右処分の取消しを求める訴え(同裁判所同年(行ウ)第二三号)を提起するとともに、本件申立てに及んだものである。

(二)  そこで本件申立てが、行訴法第二五条所定の要件に該当するかどうかについて判断する。

本件疎明によれば、次のとおり認められる。

本件集団示威運動が行なわれる八月六日は、いわゆる原爆記念日であり、同日午前八時から八時四〇分まで、広島市平和記念公園において「原爆死没者慰霊式ならびに平和祈念式」が佐藤首相出席の下に挙行される。同式典には、例年老人、子供を含む約五万人の多数の市民が出席し、特に本年は佐藤首相が出席するため例年以上の多数の市民が出席するものと予想され、同公園およびその周辺道路は、相当の混雑があると考えられる。申立人が申請した本件示威運動の進路のうち被申立人が変更した部分は、右式典式場の南側と西側に接した道路であり、なお同行進が行なわれる時間も、ほぼ式典挙行中である。実行委員会は、佐藤首相の来広および式典出席の実力阻止を標榜しているので、右進路において、本件集団示威運動が行なわれた場合、時間的、場所的関係からして右式典に出席する佐藤首相と遭遇する可能性が強く、その場合佐藤首相の式典出席を実力で阻止する行動にでることが予想されるばかりでなく、式典出席の市民のうちには、実行委員会の右意図に反対する者がいることが窺われるので、右市民や警備の警察官との間で、不測の衝突が起き、ひいては式典に出席した五万人という大集団の一般市民の身辺に危害がおよび、あるいは大きな混乱を生じさせるおそれがある。

右の次第で、本件申立てを認容することは同条所定の「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」に該当するものであると思料する。

従つて、本件申立てはその余の判断をするまでもなく理由がない。

四、結び

以上の理由により、本件申立ては理由がないので棄却することとし、申立費用の負担について民訴法第八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 竹村壽 高升五十雄 井上郁夫)

(別紙)

行政処分執行停止申立書

申立の趣旨

申立人らが被申立人に対してなした昭和四六年八月三日付の集団行進(名称佐藤来広阻止祈念式典出席実力阻止行動、実施日時昭和四六年八月六日七時四五分から、実施場所大手町第一公園前~平和大橋~本川公園)の許可申請について被申立人が昭和四六年八月四日付でなした、

一、「平和大橋、平和公園前北側緩速車道、公会堂前、本川橋をへて本川公園前に至る間」に変更するとの処分の効力を取消訴訟の第一審判決が終了するまで停止するとの裁判を求める

申立の原因

本件不許可処分の違憲違法性

一、違憲性について

(1)広島県公安委員会は八月四日不当にも被爆26周年8・6広島反戦集会全国統一実行委員会(以下実行委員会と略す)申請の集団行進のコースを変更した。公安委員会は実行委員会を断じて平和公園の中に一歩も踏み入れさせないためにコースを変更したのである。公安委員会という行政部によつて国民の反戦平和核平器反対という人間の存在に関する要求がへし折られたのである。権力によつて、国民の表現への絶対的要求は一顧だにされず秩序を乱す不逞のやからの行動とみなされたのである。表現の自由は、人間の尊厳と民主政維持の不可欠の条件なのである。公安委員会の決定には当然のことながら、全くこの基本的観点が欠落している。「われわれが嫌悪する思想についてさえも、完全にして自由な討論を行なうことは、われわれの偏見と予断をためすのを励ますことになる。完全にして自由な討論は、社会が沈滞し、全文明を引きさく怒濤と緊迫に対して無準備になつてしまうことから、これを防ぐのである。」(デニス事件のグラス判事の意見)日本の裁判官の多くが「表現の自由は尊重すべきである」という時、リツプサービス以上の何物が一体あつたろうか。この言葉は「しかし無制限ではなく公共の福祉に反しない限り尊重される」という結論を導き出す口当りのよい導入部に過ぎない。しかし、いまこそ民主政にとつて表現の自由とは何かと真剣に検討する必要がある。公安委員会はともかく裁判官は更に現代社会における表現の自由の意味を充分に考える必要がある。まさしく京都地裁のいわゆる橋本判決のいうごとく、「近代民主制国家において国民は通常その主権を選挙を通じて行使するが、選挙には政治的、思想的意見の存在を前提とする。……ところが現代社会において大部分の民衆にとつては印刷(新聞、雑誌等)電波(テレビ、ラジオ等)など大規模かつ最も有効な思想伝達の手段であるマスコミは、実際上これを駆使することができず、従つて、これらの者にとつては、自らの思想を主体的に表明する手段として集会、集団行進、集団示威行動は極めて重要な役割を果すものであり、また代議政治のもとでは、その正常な運営上、選挙権を補う参政権的要素を有する。」のである。「……ありきたりの請願方法は、われわれ市民の多くにとつては、なきに等しいともいえるかもしれないし、実際しばしばなきに等しいものであつた。議員は全く聞く耳を持たず、形式上の不服は、官僚機構の迷路の中で行方不明になつてしまうかもしれない。テレビとラジオを支配しないもの、新聞紙の広告面を買つたり……する余裕のないものは公務従業者に近づくのに、もつと限られたタイプしかもたない。かれらの方法たる集会や、請願が、平和的なものであるかぎりは妨害とか迷惑と非難すべきではない。」(Adderly V. Floridaでのダグラスの意見)この現代社会における集団行動の意味を理解しなければいけない。このことを理解した判決は、暁の星の如く少ないのである。我々は、いつまでもかかる主張を幾分かの怒りと期待とそれにあきらめの伴つた感情で行い続けなければならないのは実に残念なことである。

憲法二一条は「表現の自由を保障し、「検閲」を禁止している。「事前の抑制」は憲法からみて禁止されているのである。「事前の抑制」は思想を画一化し、社会の進歩を全く否定する権力が使用する最も安価な手段なのである。しかし、事前の抑制こそ自由な社会の完全な敵対物であり、民主政には全く無関係なものである。検閲を否定するのは、ブラツクストーンでさえも認めている。或いは、集団行動については場所を必要とし、又集団であることから特別の規制が必要であるとの見解があるかもしれない。かりにそうであるとしても、本件、集団行動についてのみそう主張するのは全く不平等である。交通の妨害を行う可能性は、デモだけでない、スポーツや、その他直接的には政治的でないパレードでもそうである。ところが、そのようなものについて交通の妨害になるということで公安委員会はそれを禁止したことがあるだろうか。否、それ以上に、交通を禁止して、それらの催しのために便宜をはかつているのである。いうまでもないことであるが、集団行進は単にそれが行われればいいというものではない。それは自らの目的のため、他の人々に強い影響を及ぼすことのできる場所と日時が保障されなければならない。申立人らの本件集団示威行進の目的は、被爆者、被爆二世の人々が今日までいかに政府権力によつて無視抹殺され、又、政府の被爆者「見殺し」政策に無自覚にも加担した多くの非被爆者によつて差別、分断、抑圧されてきたか、いかに無責任にその肉体的危機を放置されてきたかを訴えると共に、そうした屈辱と危機の戦後二六年間を「人間をかえせ!」という戦争責任の徹底追求をもつて生き抜いてきた父母兄弟のその斗いを継承し、被爆者解放運動の新たな推進を自らの手で行なうことを、平和を希い、核に反対する人々に訴えることにある。佐藤首相に「あなたは一体今まで何をしてきた。そして今また、あなたは一体何をしにヒロシマにやつてきたのだ?あなたは核アレルギーという国民の正当な感覚を奪いさり、被爆者を英霊にまつりあげ、二六年前のあの地獄を博物館用の骨とう品に変えてしまおうというのだ。あなたは原爆病院も訪れることはない。被爆者との対話も一切拒否した。あなたは被爆者の対立物であり、被爆者と共に歩む道などあなたにはない。」と告発し糾弾することにある。その目的からみて、最小限の効果をあげるには、僣越にも佐藤首相が参列する平和祈念式典の行われる平和公園正門前を出発点とする他ないのである。一体平和公園とは何か?被爆者や被爆二世が足を踏み入れることができない平和公園は何なのか。政府権力に責任をとれと要求することの一体どこを押せば公共の秩序が乱されるというのであろうか。申立人らが申請した平和公園正門前から、公安委員会が変更した平和大橋東詰めまでは、距離にして約二〇〇米以上ある。そして変更場所は何よりも平和公園の外なのである。当日は不当にも権力は機動隊を動員し、部厚い楯で申立人らを包囲し、平和祈念式典に参加している人々から遮断し、申立人らを無意味な集団に化してしまうことが十分に予想される。かかる場所、状態では、申立人らの集団行進は全く無価値になつてしまうことは明白である。申立人らの集団行進は平和公園で行われることが最低の条件なのである。このように国有財産たる公園は全く国民のためのものから、政府のために利用されるものへと転化したのである。同じ公園といつても、その法的性質は、天皇主権下の旧憲法下と、国民主権の新憲法下では異なるのである。この点に関して、東京地裁昭和二七年四月二八日判決が十分参考にされなければならない。即ち、皇居外苑の性質の変化について、「皇居外苑は………旧憲法時代においては統治権者たる天皇のお住い(宮城)の前庭を兼ねた皇室苑地になつていたが、終戦時は……国有財産の一つとして、直接公共の用に供する公共福祉用財産になつたということである。即ち終戦後は国家の根本構造の変化に応じて皇居外苑の性格は変つたのである。………この外苑は何か侵すべからざる聖域であるかのように扱うことは相当でないといわなければならない」といつているのである。だが広島県、広島市、公安委員会の言動をみると「平和公園」全体が被爆者から「何か侵すべからざる聖域であるかのごとく扱われている」といわざるを得ないのである。

この点につき昭和二九年二月二四日最高裁大法廷判決が示した原則は厳格に維持されるべきものと考える。

本件処分の根拠となつた集団示威運動、集団行進及び集会に関する条例いわゆる広島県公安条例第六条第二項は、許可基準について集団示威運動等の実施が「公共の安全と秩序に対して直接危険を及ぼすことが明らかであると認められる場合」はコースを変更できる。と規定するが、これが右最高裁判決のいう合理的かつ明確な基準といえるだろうか。もとより、右文言は抽象的には極めて妥当である。しかし、公安委員会という一行政機関が事前に許否を決定するうえでの明確な基準となりうるには余りに具体性に乏しいといわざるをえない。そもそも「直接危険を及ぼすと明らかに認められる」という規定は英米法における「明白かつ現在の危険」の理論にならつたものと考えられ、当事者主義の下における厳格な訴訟手続に従つた事後の刑事司法手続において用いる基準としてはそのままでも権利保障の機能を果しえるものといえよう。しかし、このような手続的保障のない事前の行政的取締の基準としては、右理論適用の指針が具体的に示される必要があり、治安維持を任とし、その観点からの取締にのみ走りやすい公安委員会警察官がなす許否の判断基準としては、そのままではあまりに抽象的で濫用される余地が十分ある。

全ての公安条例には本条例の如くに「公共の安全と秩序に対して直接危険を及ぼすことが明らかであると認められる場合」にはコースを変更できるという文言がある。この思考の原型はステロタイプと呼んでいいような「公共の福祉」=「秩序公安」の優先である個人の自由の上に公安を置いていることは明白である。そしてこれらの基本観念が極めて抽象的一般的に用いられていることである。

法が一定社会の秩序を守ることを主要目的とする手段であることはいうまでもない。しかし他面で「秩序」であればどんな秩序でも絶対にそうではない。「秩序そのものを主張することは国家を警察国家たらしめることでありそれは動物園の秩序と大差ない」(マツキーバー)のである。

公安条例や警察によつて維持されなければならない秩序とはまさに動物園の秩序でしかない。裁判所が守るべき秩序は民主的秩序でなければならない。この民主的秩序は精神の自由を保障し、この自由の活用を通じてみずからダイナミツクに維持していく建前にたつ秩序である。この意味ではラスキが適切に言つたように「同意の通路は広ければ広いほどいい」のである。

個人の自由の上位におく「秩序」に現実に誰がどのような意味を付与するかが問題になる。もし仮りに裁判所が「秩序」の論理を認めればこの理念は政治社会の現実の場ではまちがいなく時の権力の都合のよいように意味付与されるであろう。現に佐藤首相もいわゆる杉本決定に対する「異議申立」についての国会答弁で公言している。即ち、首相によると、行政事件訴訟法二七条の規定を発動した「事の起こりは、公共の福祉、それは一体どういうことか、政府におきましては当然公共の福祉の解釈権をもつておる。そのことをひとつ御了承願いたい」(第五五国会衆会議録二号)ということになる。このように裁判官は支配の現実を常に追認するだけの道具になりかねない危険性をもつているのである。

以上述べたように広島県公安条例第六条第二項は憲法二一条に違反する無効なものである。

(2)全ての日本国民が国政に参加し、国政のあらゆる領域を監視する必要があるのである。民主々義者、自由主義者、コミユニスト、左翼、フアミストも天皇制を支持するものもそれに反対するものも同じように国民としてその主権を行使する。かの日中一五年戦争においては共産主義者、社会民主々義者、自由主義者等を非国民として、迫害弾圧することを通して忌わしい侵略戦争を遂行していつたのである。しかして今再び被申立人は佐藤来広に反対し、反戦平和を願い核兵器に反対する人々を非国民として取扱い基本的人権の保障から除外されると主張しているのである。行政権力は濫用によつて市民的権利を封殺してはならない。憲法一四条は法の下の平等を保障し思想による差別を禁止している。本件変更処分は全くこの平等条項に違反することは明らかである。

従つて、本件変更処分は集団行進自体を禁止するものであり、思想によつて差別を行なうものであり、憲法二一条、憲法一四条に明らかに反するものである。

二、本件処分の違法性

仮に右規定が合憲であるとしても本件処分は、広島県公安条例第六条第二項にいう「公共の安全と秩序に対して直接危険を及ぼすことが明らかであると認められる場合」になされたものとは到底いい得ない。即ち本件集団示威運動の主催団体は全国実行委である。即ち全国実行委は全国一〇九団体が参加して結成され佐藤来広阻止祈念式典出席阻止の運動を行つている団体であり、反戦平和、侵略阻止を目的とする団体である。そして当日の参加予定者数は約三〇〇名程度であり、人数の点よりみても「公共の安全と秩序に対して直接危険を及ぼすことが明らかであると認められる場合」にあたらないことも明白である。更に市民との間の混乱についても何ら問題はない。それは申請団体の性格、規模等からみても明白である。

もう一つの理由は本件集団示威行進は右翼団体を刺激し、相当激しい衝突等不側の事態が発生することが明らかであるということである。しかし本件集団行進の性格からみてかかる事態が発生することはありえない。そしてこのことは本年四月の天皇来広の場合に右翼団体はデモの執行停止が認められたにもかかわらずデモを行なわなかつたことからも明らかである。更に集会の自由を保証するために右翼団体を規制することこそ公権力の任務である。更にいわゆる内ゲバということも問題にならない。

以上述べたように本件集団行進は公安条例第六条二項に該当しないことが明らかである。しかるに本件集団示威行進は前記制限によつて右行動が制約され、これによつて受ける損害は回復しがたいものといわざるをえない。

申立人が本件集団示威行進の責任者として又、自らも右行動に参加するものとして本執行停止の申立に及ぶ次第である。

行政事件執行停止の申立の趣旨の訂正の申立

申立人  中嶋久矩

被申立人 広島県公安委員会

右当事者間の御庁昭和四六年(行ク)第一五号行政処分執行停止申立事件につき、申立の趣旨を左記のとおり訂正する。

申立の趣旨

申立人らが被申立人に対してなした昭和四六年八月三日付の集団行進(名称、佐藤首相来広阻止・祈念式典出席実力阻止行動、実施日時昭和四六年八月六日七時四五分から、実施場所大手町第一公園前~平和大橋~本川公園)の許可申請について被申立人が昭和四六年八月四日付でなした「平和大橋~平和公園前北側緩速車道~公会堂前~本川橋をへて本川公園前に至る間」を「平和大橋東詰交差点を左折して平和大通りを東進し新大手町ビル南側交差点を左折して大手町筋を北進し、福万旅館前、ユニード前、広綿前をへて第一産業北側交差点を左折して西進し相生橋西詰を左折し、本川公園に至る進路」に変更するとの処分の効力を取消訴訟の第一審判決が終了するまで停止する

との裁判を求める

意見書

申立の趣旨に対する意見

本件申立を却下する。

申立費用は申立人の負担とする。

との裁判をすべきものと思料する。

理由

第一申立の申請にかかる集団示威運動について一部変更許可処分を行なつた理由

一 例年の如く、八月六日午前八時から同八時四〇分までの間、広島市主催の原爆死没者慰霊式と平和祈念式(以下「祈念式典」という。)が平和記念公園内の原爆慰霊碑を中心として行なわれる。祈念式典の参加人員は、昭和四四年が約四九、〇〇〇人、昭和四五年が約五万人であつたが、今年は佐藤首相が祈念式典に出席されることもあつて五万人を上回る人が参加するものと予想されている。平和記念公園に五万人を上回る参加者が一時に集合すると、殆んど立錐の余地もないと言つてもよい程の混雑を呈することになる。そして、五万人以上の参加者のうち、多くは、婦女子を含めた一般市民であり、その中には年老いた被爆者も相当数含まれているものと考えられる。これらの参加者は、祈念式典が始まる午前八時に間に合うように、遅くとも、午前六時頃から三々五々元安橋、平和大橋等を通つて平和記念公園に集つて来る(疎乙第一号証乃至四号証)。平和記念公園の地形上、そこでの祈念式典に参集するには、相生橋(幅七・二米、長六三・六米)、本川橋(幅八・八米、長七四・三米)、西平和大橋(幅一五米、長一〇九・八米)、平和大橋(幅一三・四米、長八六・二米)、元安橋(幅七・九米、長五一・九米)と平和大橋と西平和大橋間の平和大通(幅一六・四米、長三五〇米)のいずれかを渡つて、公園内の通路を通り、原爆慰霊碑附近に参集することになる(疎乙第五号証)。従つて、五万人を上回る参加者が、せいぜい二、三時間の間にこの六つの進入路を通つて祈念式典に出席すべく、平和記念公園に集つて来れば右各進入路および公園内の通路は相当の混雑を呈する。このことは、祈念式典終了後参加者が帰路につく時も同様である。すなわち、午前八時四〇分に祈念式典が終了した後参加者の多くは平和記念公園内にある原爆慰霊碑、納骨塔や供養塔などに参拝してから帰路につくため、例年、式典終了後約二時間位は、公園内の通路や前記六つの進入路は混雑する状況にある(疎乙第三号証)。さらに、本年は、佐藤首相には、祈念式典後約三〇分位平和資料館等を見学され、その後、広島市舟入幸町にある広島原爆養護ホームを訪問される予定になつているので(疎乙第六・七号証)、例年以上に、祈念式典後も公園内の通路や前記の進入路は混雑するものと予想されている。(疎乙第三号証)

二 他方、佐藤首相の来広が報道されると、被爆者青年同盟や、八・六反戦集会広島県統一実行委員会(広大全共斗や広島県反戦青年委員会などの新左翼系各種団体で組織されている)の呼びかけで、本年六月二六日に広島市へ東京から九州までの各地より一〇九団体、約二〇〇名を集めて、被爆二六周年八・六広島反戦集会全国統一実行委員会(以下、「全国委員会」という。)が結成された。そして、八月六日前後に広島市に全国から学生、反戦労働者など約五、〇〇〇名を動員し、八月四日から六日まで三波にわたる佐藤首相の来広および祈念式典出席の実力阻止斗争を行ない、八月六日は午前中のデモの後、午後、平和記念公園で反戦集会を開き、七日も討論集会をもつこと等の方針を決めた。(疎乙第八、九号証)

全国委員会およびその傘下の諸団体は、佐藤首相来広および祈念式典出席の実力阻止斗争の一環として、各種の街頭活動を行なつた(疎乙第一〇号証)ほか、別紙(一)のように、八月六日午前中に平和記念公園周辺を目指す多数のデモ行進の許可申請を被申立人に対してなしてきた。そのデモ行進の進路を仔細に検討すると、同日午前七時頃より午前一〇時乃至一一時頃までの間平和記念公園へ通づる前記六つの進入路および同公園内の通路を数千名の者がデモ行進によつて制圧する結果になる(疎乙第一一号証、一二号証乃至一九号証の各一)。

このようなデモ行進の進路と全国実行委員会およびその傘下諸団体の佐藤首相の来広および祈念式典出席の実力阻止というデモ行進の目的とを併せ考えると、佐藤首相が同日午前八時より午前八時四〇分まで行なわれる祈念式典へ出席するため平和記念公園に到着する際および祈念式典終了後同公園を退出する際をとらえて、全国委員会およびその傘下の諸団体は、統一の意志のもとに、集団示威運動という実力に訴えて佐藤首相の行動を阻止し、或いは佐藤首相に対する抗議の行為に出ることを意図していることが明らかである。

ところで、前記のとおり八月六日の午前七時頃より午前一〇時半頃までの間、平和記念公園内の通路およびそれへの六つの進入路は祈念式典に出席する五万名以上の人々の往来で充満しており、そこへ全国委員会およびその傘下の諸団体によるデモ行進が行なわれると、交通が混乱することは必至であり、婦女子や老人の生命・身体が損われる危険が大である。また、新聞社の世論調査によると、市民の約七〇%の者は佐藤首相の祈念式典への出席を歓迎しており(疎乙第二〇号証)、ともに静かに原爆死没者の慰霊と平和を祈念しようと集まつている市民にとつて、前記各団体による佐藤首相の来広および祈念式典出席の実力阻止という行為は、深い反感を与え、不測の衝突を惹起することが十分に懸念される。更に、これらの各種団体の中核をなすのはデモ行進の許可申請書の記載からも明らかなように(疎乙第一一号証、一二乃至一九号証の各一)広島大学を始めとする中国、四国の全共斗系の学生や反戦労働者であり、従前から違法なデモ行進や違法行為を度々繰り返してきたところである。(疎乙二一号証乃至二四号証)そして、最近においては、これらの諸団体は、佐藤首相の来広および祈念式典出席の実力阻止行動により、広島に第二のコザ暴動を起すことを公然と表明している。(疎乙第二五、二六号証)したがつて、これらの各種団体のデモ行進が佐藤首相一行と遭遇した場合は重大な衝突が生ずることは必至であり、そして、その衝突は周辺の一般市民をも捲き込んで、警察の警備力をもつてしても、収拾のつかない暴動へと発展していくことが十分に予想される。(疎乙第二七号証乃至二九号証)

なお、本件デモ行進の主宰者とされている中嶋久矩は、反戦青年委員会の幹部として、従前から各種の新左翼系の各種斗争に参加し、これまで公務執行妨害、暴力行為等の処罰に関する法律、道路交通法違反で三回逮捕された前歴を有するものである。(疎乙第三〇号証)また、本件デモ参加予定者三〇〇名は、広島大学を中心とした中、四国全共斗系の学生であり、それが従前違法行為を繰り返して来たことは衆知の事実といえよう。(疎乙第二二号証乃至二五号証)このように、違法行為による逮捕歴を有する者に率いられ、かつ、参加者も従前よりしばしば違法行為を繰返した者であり、今回の斗争で実力阻止を標榜していることも併せ考えると、必らずや本件のデモ行進においても違法な行為に及ぶことが予測されるところである。

三 そこで、被申立人は、右のような事態を防止するため、必要最少限の措置として、集団示威運動、集団行進及び集会に関する条例第四条、第六条第二項により、これら各種団体の申請にかかるデモ行進の進路のうち、平和記念公園内の通路および同公園への六つの進入路を行進する部分については、行進を許さないものとして、その部分について実施場所を変更してデモ行進を許可したものである。(疎乙第一二号証乃至一九号証の各二)

申立人の許可申請について被申立人が申立人の主張のような進路の一部変更許可を行なつたのも、前述の理由によるものである。(疎乙第一三号証の一、二)

第二本件執行停止の申立が失当である理由

以上述べたとおり、本件一部変更許可処分は適法であり、申立人の本案の訴は理由がないので、本案について理由がないとみえるときに該当する。

また、もし本件一部変更許可処分の執行停止が認められると、前述のとおり一般交通を著しく阻害するとともに、一般大衆に危害を及ぼすことが明らかであり、このことは、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるときに該当するものであることもいうまでもない。

以上、いずれの点からみても、本件申立はすみやかに却下されるべきである。

(別紙)

総理大臣来広に関する集団運動申請一覧表(S46.8.4現在)

区分

主催団体(主宰者)

申請日時

申請場所(コース)

申請人員

名称

目的

受理日時

決定日時

交付日時(受領者)

備考

1

広島市南千田町3丁目10―25青年社内

「被爆26周年8.6広島反戦集会全国統一実行委員会」

広島市大手町5丁目12―7

藤田方

中島久矩24才

8月6日(金)06:30~08:00

広大正門前~白神社交差点~平和大橋東詰~大手町第1公園

約300人

(広大を中心とした中・四国全共闘)

車両2台

佐藤来広抗議、祈念式典出席阻止第3波行動

佐藤首相来広に反対抗議し、8.6広島平和祈念式典を許さないことをアピールするため

7月28日(水)

14:47

8月3日定例

8月3日

22:30

申請通り許可

2

8月6日(金)

08:10~12:00

大手町第1公園~元安橋~本川橋東詰~公会堂前~百米道路北側緩速車道~平和大橋~大手町筋~本通電停~金座街~白島線~入管前~流川町~八丁堀~紙屋町~白神社~広大正門前

第4波行動

14:43

8月3日

22:40

進路の一部変更

3

8月6日(金)

07:45~08:30

大手町第1公園~平和大橋東詰~平和大橋西詰~平和公園前北側緩速車道~噴水前~公会堂前~公会堂西側~本川橋~本川公園

300人

(全日反戦青年委を中心として)

車両1台

佐藤来広阻止、祈念式典出席実力阻止行動

佐藤来広を阻止し祈念式典への佐藤出席に抗議、許さないことの意志表示行動として

8月3日(火)

14:20

8月4日

20:15

同上

4

広島市千田町3丁目10―25青年社

「被爆26周年8.6広島反戦集会全国統一実行委員会高校生実行委員会」

広島市己斐本町2―6―16

吉川真理16才

8月6日(金)

07:00~10:00

広島大学正門前~白神社~平和大橋~西平和大橋東詰~本川橋東詰~相生橋~紙屋町~金座街~本通電停~白神社~広島大学正門前

約1,500人

(県内750県外750)

佐藤首相平和祈念式典出席反対8.6広島反戦集会

佐藤首相の平和祈念式典出席に反対し、被爆者解放運動を防衛して、侵略戦争を阻止するため

7月29日(木)

11:50

未受領

同上

5

広島市千田町3丁目10―25青年社

「被爆26周年8.6広島反戦集会全国統一実行委員会学生実行委員会」

広島市千田町2丁目5の33広大青雲寮内

伊与田耕治24才

8月6日(金)

07:00~08:05

広大正門~白神社~平和大橋~百米道路北側緩速車道~公会堂前~本川橋~本川公園東側

約1,000人

(中・四国全共闘系全共闘)

被爆26周年佐藤来広祈念式典出席阻止8.6広島反戦デモ

佐藤首相来広に反対抗議し、8・6広島祈念式典出席を阻止しなければいけないことのアピール

7月30日(金)

15:10

8月3日

22:50

同上

6

広島市千田町3丁目10―25青年社

「被爆26周年8.6広島反戦集会全国統一実行委員会学生実行委員会」

広島市千田町2丁目5の33広大青雲寮内

伊与田耕治24才

8月6日(金)

08:15~11:00

本川公園東側~本川橋~元安橋~本通電停~金座街~八丁堀~紙屋町~白神社~広島大学正門

約2,000人

(中四国全共闘系学生)

車両1台

被爆26周年佐藤来広、祈念式典出席阻止8.6広島反戦デモ

佐藤首相の来広8.6広島平和祈念式典出席に反対し抗議するため

7月30日(金)

15:22

8月3日定例

8月3日

22:50

進路の一部変更

7

広島市千田町3丁目10―25青年社

「被爆者青年同盟」

安芸郡府中町1077―16

児玉隆博23才

8月6日(金)

07:00~08:30

広大正門前~鷹の橋白神社交差点~平和大橋~平和公園正面入口北側

約40人

佐藤来広式典出席反対被団協の援護法制定要求支持行動

佐藤来広、式典出席に反対し被団協の援護法制定要求支持のため

7月30日(金)

18:45

22:40

同上

8

8月6日(金)08:40~10:00

広大正門前~中央車道~平和大橋~白神社交差点~市役所前~広大正門前

約40人

佐藤来広、式典出席反対、被団協の援護法制定要求支持行動

佐藤来広、式典出席に反対し、被団協の援護法制定要求支持のため

7月30日(金)

18:40

22:40

同上

9

呉市東畑町1―4―17山田方

8.6広島反戦集会統一実行委員会労働者実行委員会

同上

中島英雄18才

8月6日(金)

6:30~15:00

広島城公園正面入口~RCC前~中央テニスコート前~県庁前~紙屋町~相生橋~八丁堀~西平和大橋東詰~平和大橋~白神社前~紙屋町~県庁前~中央テニスコート前~RCC前~広島城公園正面入口~護国神社前広場

30人

宣伝カー1台

反米反軍連絡協議会

佐藤来広阻止

佐藤来広のギマン性を市民に訴える

8月3日

17:00

8月4日

18:15

同上

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